麦落雁の歴史

麦落雁の三桝屋大越は今から430年前天正年間(1570年頃)佐貫町と称した時代より代々城中に菓子をお納めしておりました。
江戸時より文人、墨客に愛された菓子舗でした。
特に大麦の質が殊の外良く、これを皮付きのまま焙って粉末にすると、たいそう香ばしいものとなりました。
これを素にして『麦落雁』を思いついたのが三桝屋の初代『与兵衛』でした。
与兵衛翁は文政初年の頃(1818年頃)大麦を焙って粉にした物【はったい粉】と【讃岐和三盆】を併せて、その香を失わずに上品な甘さに固めた打物菓子『麦落雁』を造り上げました。
三桝屋は永く、館林藩主・秋元家の御用を務め、時の将軍家にも献上したところ、茶道の菓子として殊の外ご愛顧賜るようになり、次第に全国各地にも知れ渡るようになりました。

また、明治19年5月には、皇太后皇后両陛下が躑躅が岡公園に行啓の際、お買上げの光栄に浴しました。昭和に入り、昭和26年4月に第2回全国植樹祭に行幸のおりに光栄に浴し、平成においても平成9年10月に第49回全国植樹祭に行幸され光栄に浴しました。
そして昭和58年には第38回あかぎ国体が冬・夏・秋と開催され天皇陛下・皇太子殿下・皇太子妃殿下や多数の皇族の方々も行幸啓になられ『三桝屋大越の麦落雁』は光栄に浴しました。
注:[行幸啓誌より]
明治19年の光栄に応えんと品質改良に努めました結果、明治23年内国勧業博覧会に出品入賞の上、地方菓子業界としては初めて宮内庁の御用達を賜り、全国菓子博覧会にて金賞を数度受賞し、現在では名誉無鑑査賞も受賞しております。
また、昭和33年(1958年)にはベルギー・ブリュッセルにおいて第44回国際菓子博覧会賞碑を賜り、翌年、昭和34年(1959年)イギリス・ロンドンにおいても同賞を受賞いたしまし栄誉あるお菓子でございます。

大麦は香も高く粘気もある最高級品質の【六条大麦】を使用し、それに加えるものとして良質の大麦に調和する砂糖を自家精製しております。
形はその当時、江戸文化の爛熟期にあたり歌舞伎が盛んな頃で、初代、団十郎は歌舞伎作家でもあり、ペンネームを三桝屋兵庫といい、兵庫と交誼のあった三桝屋大越の先祖は三つ亀甲の紋様を組合せて六角形の紋様を木型に彫り、現在の商標が出来上がりました。

麦落雁は大麦の香ばしさと砂糖の甘さが巧みに調和した独特の風味を醸し出し、素朴さと肌理細やかな上品さが舌に乗せるとさっと解け、口中に広がります。これが、『麦落雁』の特色でございましょう。

いつの時代にも喜ばれ、もっぱら茶道のお菓子としてご愛用されてまいりましたが、現在においても群馬県を代表する銘菓として、初代与兵衛の草案から代々一子相伝の技法により造り続けられ、引き継がれてまいりましたお菓子でございます。
今後とも末長くご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

現在は、落雁そのものを知らない世代もでてきているので、そうした層にもアピールしていくために、群馬県のキャラクター「ぐんまちゃん」や館林市のご当地キャラクター「ぽんちゃん」形の麦落雁を開発しました。また、館林商工高と連携して、生徒からの意見を募るなど、時代に合わせた販売を進めています。
六角形三桝マーク三桝屋のマークは1971年、特許庁長より全国516,000社の登録商標の中から日本有名商標[東洋独特]として、海外公館にも紹介されました。